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2008年北京的第一场雪。
这个冬天的第二场。
印象里两场雪都是同一种模式。下之前的几天极其阴郁,阴郁到有种危险的征兆,并且冷得出奇。随后会转晴变暖,有一两天和煦的日子(就好象昨天)。再然后,就要下雪了。
总是悄无声息的。在早晨出门的时候才蓦然发现,不晓得什么时候开始下起来的。都不是多大多凶猛的雪,只要风不大,也就不觉得多寒冷。
就像今早,扑在脸上的是沙砾一样的雪粒,路面和沿途的车子房顶上也只是薄薄的一层。稍稍有一点滑,于是放慢了些脚步。
天亮以后,才积得略微厚了一些。
坐在落地窗边上看雪。
雪粒密密匝匝地下着。比起灰茫茫的天空,地面是一片亮眼的白。
有人在楼下扫雪。车子在白色的地面上留下整齐的弧形痕迹。
对面会议中心的湖面上,应该也结冰了吧。
之前出去的时候路过北海,看到水面虽然上结了冰,但明显还很薄很脆弱,恐怕经不起人上去走动。
想来很小的时候和爸妈冬天去玩,曾经踏着水库的冰面从大坝一直走到中心小岛的游乐园。那时冻得既厚又结实的水面,现在在北京怕是已经找不到了吧。
雪也一样。直到小学时期,都还喜欢在放学后的晚上,用绳子拴个小马扎拉到马路上坐着在雪面上溜。雪被车轮压得又平又滑。
于是在一年也没有几场雪,且每次都只下短短半天的雪粒的现在,孩子们已经没有办法重复旧日的游戏了。
——即使是自然这样宏大的存在,也都无法永久地维持原样呢。
细部的变化零零总总,就连偌大的整体也在不断改变和被改变着。
而且不可逆转。
“永远”是太过沉重的东西。没有什么可以负担得起。
太阳有一天也会熄灭,属于我们的时间,终有一天会消失不见。
人的命短,其实是件好事。
早先在魔戒圈子里,曾经和朋友讨论过有关“永生”的话题。
那些不老不死的种族,究竟是怎样看待这世界的呢。
创世神耶路瓦塔尔和他的圣徒们暂时不管(神的世界观毕竟和神以下众生的世界观不同),于是长生的种族首先是精灵。
最早被神发现的种族,同神一起居住在西方浩瀚大海的不死之地,即使身体死去,灵魂也将回到曼多斯的神殿,在那里重获新生。
矮人的寿命也不算短(毕竟是神创造出来的),结实得像座山,稳固得像钢铁。
霍比特。虽然一直是沉寂的,不起眼的种族,但总归也可以活到几百岁。
于是最脆弱最短暂的生命,依然是人类。
努美诺尔的血统消亡后,寿命不过百年的普通人类。
在人类的眼里,对永生的种族总是存在着钦?。
经年的岁月只沉淀在他们的目光之中,时间给了他们睿智,给了他们高远的眼光和洞察探知世事的心。就这一点来讲,确实值得钦?也说不定。
但我想短暂的生命也给了我们专属的,珍贵的礼物。
一是“激情”,二是“珍惜”。
热情在永生的种族中,怕是会缺乏的吧。燃烧热情所需要的东西,是会被时间消耗殆尽的。太过长久的生命,太过丰富的见闻,在换来睿智的同时也是要带来疲惫的。因为短暂,所以热情执著。
珍惜的另一重含义,实际上是“缺少”。因为缺少所以珍贵。因为短暂所以缺少。于是我们才会期待,才会想要守住每一次机会。
也许是浅薄的想法,但的确感到这不过百年的生命,是上天的一种恩赐。
不必承受那种沉重的疲惫。不必体味世代就在眼前变迁的悲凉。
若是拥有着永恒的生命,那么经历世事后的悲伤和孤独,怕是也要一直延伸下去吧。
而且,因为短暂的缘故,正是因为短暂的缘故,我们或许有机会,在短暂中铸就相对的永恒。
让在瞬间中保持不灭的意识将时间无限地分解下去。把那些珍贵的东西,永远封存在那个世界尽头里面。
重新得到失去的一切,重新获得来到这世上时所拥有的安宁。
我的世界尽头是什么样子呢。
唔,那里应该有大海。有座冬天的房子。有狭窄的阴暗的走廊和照不出影子的镜子。有扇锁住的窗子。窗外是满天星斗,但却无比孤独的宇宙。
也许不存在看得见的希望。希望在室外的阳光下无法生存,只能储存在厚障壁的仓库里。
仓库既无门也无窗,没有出口和入口。任何东西被吸进去就别想重见天日。
有朋友在,但很少见面。冬天的房子总是不受欢迎的。
外面有春有夏有秋,只有房子里永远是冬天。不下雪的冬天。
海在哪里一直不清楚。虽然晓得在这里的某个地方存在着。
——就是这样的意象。很早以前就存在在头脑中的意象。
梦或者幻想也都分不清。但是仍然清楚地记得推开那扇本应锁死的窗子时所看到的东西。
深?的宇宙,数不清的星星在闪亮。但却是没有尽头,哪里也触及不到的空间。
那就是纯粹的永恒。随之而来的,是绝望一样的寂寞感。
啊,雪似乎是快要停了。果然又是半天都不到啊。
为什么下雪时会想到这样的东西呢。
大概“现实”和“意象”脱节时间太久,一直得不到融合的机会吧。
即使短暂和浅薄,世事经过后,也多少会留下一点痕迹。
尽管记忆已经淡薄,但痕迹却一直存在在看不见的地方。偶尔在意象和梦境里苏醒。
譬如说所谓的心伤。尽管不曾怨恨,但悲伤依旧无法停止。
凡人的小烦恼也好,郁闷终究还是郁闷吧。
这个冬天的第二场。
印象里两场雪都是同一种模式。下之前的几天极其阴郁,阴郁到有种危险的征兆,并且冷得出奇。随后会转晴变暖,有一两天和煦的日子(就好象昨天)。再然后,就要下雪了。
总是悄无声息的。在早晨出门的时候才蓦然发现,不晓得什么时候开始下起来的。都不是多大多凶猛的雪,只要风不大,也就不觉得多寒冷。
就像今早,扑在脸上的是沙砾一样的雪粒,路面和沿途的车子房顶上也只是薄薄的一层。稍稍有一点滑,于是放慢了些脚步。
天亮以后,才积得略微厚了一些。
坐在落地窗边上看雪。
雪粒密密匝匝地下着。比起灰茫茫的天空,地面是一片亮眼的白。
有人在楼下扫雪。车子在白色的地面上留下整齐的弧形痕迹。
对面会议中心的湖面上,应该也结冰了吧。
之前出去的时候路过北海,看到水面虽然上结了冰,但明显还很薄很脆弱,恐怕经不起人上去走动。
想来很小的时候和爸妈冬天去玩,曾经踏着水库的冰面从大坝一直走到中心小岛的游乐园。那时冻得既厚又结实的水面,现在在北京怕是已经找不到了吧。
雪也一样。直到小学时期,都还喜欢在放学后的晚上,用绳子拴个小马扎拉到马路上坐着在雪面上溜。雪被车轮压得又平又滑。
于是在一年也没有几场雪,且每次都只下短短半天的雪粒的现在,孩子们已经没有办法重复旧日的游戏了。
——即使是自然这样宏大的存在,也都无法永久地维持原样呢。
细部的变化零零总总,就连偌大的整体也在不断改变和被改变着。
而且不可逆转。
“永远”是太过沉重的东西。没有什么可以负担得起。
太阳有一天也会熄灭,属于我们的时间,终有一天会消失不见。
人的命短,其实是件好事。
早先在魔戒圈子里,曾经和朋友讨论过有关“永生”的话题。
那些不老不死的种族,究竟是怎样看待这世界的呢。
创世神耶路瓦塔尔和他的圣徒们暂时不管(神的世界观毕竟和神以下众生的世界观不同),于是长生的种族首先是精灵。
最早被神发现的种族,同神一起居住在西方浩瀚大海的不死之地,即使身体死去,灵魂也将回到曼多斯的神殿,在那里重获新生。
矮人的寿命也不算短(毕竟是神创造出来的),结实得像座山,稳固得像钢铁。
霍比特。虽然一直是沉寂的,不起眼的种族,但总归也可以活到几百岁。
于是最脆弱最短暂的生命,依然是人类。
努美诺尔的血统消亡后,寿命不过百年的普通人类。
在人类的眼里,对永生的种族总是存在着钦?。
经年的岁月只沉淀在他们的目光之中,时间给了他们睿智,给了他们高远的眼光和洞察探知世事的心。就这一点来讲,确实值得钦?也说不定。
但我想短暂的生命也给了我们专属的,珍贵的礼物。
一是“激情”,二是“珍惜”。
热情在永生的种族中,怕是会缺乏的吧。燃烧热情所需要的东西,是会被时间消耗殆尽的。太过长久的生命,太过丰富的见闻,在换来睿智的同时也是要带来疲惫的。因为短暂,所以热情执著。
珍惜的另一重含义,实际上是“缺少”。因为缺少所以珍贵。因为短暂所以缺少。于是我们才会期待,才会想要守住每一次机会。
也许是浅薄的想法,但的确感到这不过百年的生命,是上天的一种恩赐。
不必承受那种沉重的疲惫。不必体味世代就在眼前变迁的悲凉。
若是拥有着永恒的生命,那么经历世事后的悲伤和孤独,怕是也要一直延伸下去吧。
而且,因为短暂的缘故,正是因为短暂的缘故,我们或许有机会,在短暂中铸就相对的永恒。
让在瞬间中保持不灭的意识将时间无限地分解下去。把那些珍贵的东西,永远封存在那个世界尽头里面。
重新得到失去的一切,重新获得来到这世上时所拥有的安宁。
我的世界尽头是什么样子呢。
唔,那里应该有大海。有座冬天的房子。有狭窄的阴暗的走廊和照不出影子的镜子。有扇锁住的窗子。窗外是满天星斗,但却无比孤独的宇宙。
也许不存在看得见的希望。希望在室外的阳光下无法生存,只能储存在厚障壁的仓库里。
仓库既无门也无窗,没有出口和入口。任何东西被吸进去就别想重见天日。
有朋友在,但很少见面。冬天的房子总是不受欢迎的。
外面有春有夏有秋,只有房子里永远是冬天。不下雪的冬天。
海在哪里一直不清楚。虽然晓得在这里的某个地方存在着。
——就是这样的意象。很早以前就存在在头脑中的意象。
梦或者幻想也都分不清。但是仍然清楚地记得推开那扇本应锁死的窗子时所看到的东西。
深?的宇宙,数不清的星星在闪亮。但却是没有尽头,哪里也触及不到的空间。
那就是纯粹的永恒。随之而来的,是绝望一样的寂寞感。
啊,雪似乎是快要停了。果然又是半天都不到啊。
为什么下雪时会想到这样的东西呢。
大概“现实”和“意象”脱节时间太久,一直得不到融合的机会吧。
即使短暂和浅薄,世事经过后,也多少会留下一点痕迹。
尽管记忆已经淡薄,但痕迹却一直存在在看不见的地方。偶尔在意象和梦境里苏醒。
譬如说所谓的心伤。尽管不曾怨恨,但悲伤依旧无法停止。
凡人的小烦恼也好,郁闷终究还是郁闷吧。
PR
昨日のある時間に、僕は世界一番幸せな人でした。
あの時、そういうことを思いかけました。「もしかして、貴方は僕の叫び声を聞こえたでしょう?」と。
冬のせいとか、なんとか、どうせい僕が絶望してたまらなかった時、貴方に救われたみたいです。
貴方は優しいから。優しすぎですから。僕は、思わずに泣き出してきました。たくさんの人がいるにもかかわらずに。
僕は、どんなに幸運な人なんだろ。きっと、前世の僕は、貴方のようなとても優しい人でした。そうじゃないと、なぜ今こんなに自分勝手な人のかぎり、貴方に親切させてくれたでしょう?
それは、いくら感謝しても、いくら甘い言葉を出しても、いくら贈り物をかけても、足りることになれないものなんです。
今までも、貴方を思い出してから、思わずに涙は溢れそうになっています。
ありがとう。なんでもできないけど。どうしても仕方がないけど。本当に、ありがとう。
あの時、そういうことを思いかけました。「もしかして、貴方は僕の叫び声を聞こえたでしょう?」と。
冬のせいとか、なんとか、どうせい僕が絶望してたまらなかった時、貴方に救われたみたいです。
貴方は優しいから。優しすぎですから。僕は、思わずに泣き出してきました。たくさんの人がいるにもかかわらずに。
僕は、どんなに幸運な人なんだろ。きっと、前世の僕は、貴方のようなとても優しい人でした。そうじゃないと、なぜ今こんなに自分勝手な人のかぎり、貴方に親切させてくれたでしょう?
それは、いくら感謝しても、いくら甘い言葉を出しても、いくら贈り物をかけても、足りることになれないものなんです。
今までも、貴方を思い出してから、思わずに涙は溢れそうになっています。
ありがとう。なんでもできないけど。どうしても仕方がないけど。本当に、ありがとう。
今日は、初雪。
朝起きた時全然気づかなかったが、外に出ると「おや」とびっくりした。そんなに大きな雪じゃないから、大地とか木とかただ薄く被り、優しい雪なんです。空気も寒くなく、風が新しく涼しく、きれいな匂いをする。今窓から眺め出し、空も大地も、一切灰白になりました。やはり、雪を見ると、「ああもう冬」という感じが出ますよね。
普通に、この地方の初雪というものは多分このようです。どうやら、「初」ということについて、なんか青く感じで、「未熟」みたいな言葉はよく付いています。「素人」とか、なんとか。つまり、生意気がなく、謙遜な雰囲気がしています。この地方の初雪もそうです。嫌がれて激しいことがなく、よく謹慎して人間の世界に出てきます。まるで自分だけに知られるように存在して、静かに舞い落ちる姿が、私にとって一番気に入れることです。
私、今、ホテルに働いています。今まで、丁度四ヶ月。会社は家に近いけど、交通が不便で、いろんな面倒があります。仕事には初めてから、難しく、嫌なことがよくあると思う上に、休日は毎週一日しかないで、本当に疲らすと感じてます。しかし、上司がとても優しく、たくさんの信任をくれて、みんなも親切にしてくれます。それは、非常にラッキなことじゃないかと思います。人生はそういうもんかな。辛いとか疲れるとか、好きなものがあれば、たとえそれだけのために生きても、「目的」があるというのは言える。私もそういうつまらない人間ですけど、「生きられる」という感じが、本当に重要だと思います。
ちなみに、今朝バスを待っていた時、友達にメッセージを送って初雪を知らせることになりました。彼女は南方に生まれて育って、雪のほうは多分あんまり見たことがないだろうと思いましたから。こんな優しい雪を浴びながら、なんとか彼女のことしか思い出せなかったんです。「この人と一緒に見たい」と。こんな考えが出来ることも、多分ありがたいと思います。今、よく支えられて、とても大事な友達ができたよね、私。我侭と言っても、冷たいと言っても、失いたくない人がもう一度出てきました。私は、昔ある人のために、いろんな感情を見失ってしまったと思いました。でも今は、この人にそれらを教えてくれて取り戻したいんです。私は、もっといい人になりたいんです。
それで、今雪を見たり、友達を思ったり出来る私は、幸せだと、心底から思います。
朝起きた時全然気づかなかったが、外に出ると「おや」とびっくりした。そんなに大きな雪じゃないから、大地とか木とかただ薄く被り、優しい雪なんです。空気も寒くなく、風が新しく涼しく、きれいな匂いをする。今窓から眺め出し、空も大地も、一切灰白になりました。やはり、雪を見ると、「ああもう冬」という感じが出ますよね。
普通に、この地方の初雪というものは多分このようです。どうやら、「初」ということについて、なんか青く感じで、「未熟」みたいな言葉はよく付いています。「素人」とか、なんとか。つまり、生意気がなく、謙遜な雰囲気がしています。この地方の初雪もそうです。嫌がれて激しいことがなく、よく謹慎して人間の世界に出てきます。まるで自分だけに知られるように存在して、静かに舞い落ちる姿が、私にとって一番気に入れることです。
私、今、ホテルに働いています。今まで、丁度四ヶ月。会社は家に近いけど、交通が不便で、いろんな面倒があります。仕事には初めてから、難しく、嫌なことがよくあると思う上に、休日は毎週一日しかないで、本当に疲らすと感じてます。しかし、上司がとても優しく、たくさんの信任をくれて、みんなも親切にしてくれます。それは、非常にラッキなことじゃないかと思います。人生はそういうもんかな。辛いとか疲れるとか、好きなものがあれば、たとえそれだけのために生きても、「目的」があるというのは言える。私もそういうつまらない人間ですけど、「生きられる」という感じが、本当に重要だと思います。
ちなみに、今朝バスを待っていた時、友達にメッセージを送って初雪を知らせることになりました。彼女は南方に生まれて育って、雪のほうは多分あんまり見たことがないだろうと思いましたから。こんな優しい雪を浴びながら、なんとか彼女のことしか思い出せなかったんです。「この人と一緒に見たい」と。こんな考えが出来ることも、多分ありがたいと思います。今、よく支えられて、とても大事な友達ができたよね、私。我侭と言っても、冷たいと言っても、失いたくない人がもう一度出てきました。私は、昔ある人のために、いろんな感情を見失ってしまったと思いました。でも今は、この人にそれらを教えてくれて取り戻したいんです。私は、もっといい人になりたいんです。
それで、今雪を見たり、友達を思ったり出来る私は、幸せだと、心底から思います。
最近はなにもしたくねぇ。
疲れたってば、むしろやる気がない。やる気分がないな。
先週と今週も面接いっぱい、けど仕事はとうしても決めないようなんだ。もううんざりだよコリャー!!
でも、仕方がない。ふー
ため息にもやる気がない……||||
実は、そんなにいらいらするのは自分もしたくなかった。
でも人は未来を見ないうちに迷いやすくなるのも無理はない。
もうそろそろ学校から離れ、自分で生活を作る時間だ。いい仕事とか、あんまりよくない仕事とか、とにかく何かをしてばいいと思います。のんびりにしたくないわけがないけど、何もしないのは嫌だ。そして欲しい物を早く自分で支払いたいんだ。
でも、それは急にできるわけはない……みたいな。
はぁ……
別にそんなに悩んでるわけはないな。落ち着いていくのに、ちょっとだけ焦ると思う。ちょっとだけだ。
まぁ、人は多分みんなこんな時があるかな。
迷って迷って探して続けて、繰り返し……いつか自分には似合うことを見つけて、目指しできて夢を叶えて……幸せになる?
なんか嘘みたい気がする|||
しかし私は自分を信じてる。そして自分の運も信じてる。元々希望はそんなに高すぎではないから、いつか必ず自分がしたい生活を手に入れた。
だから今は少々我慢すればいいと思います。
きっと軽くなれる、かな。
今は重いです。胸の上に、なんか山みたいなものがある。ストレスというものかどうか、よくわからへんけど、疲らした。
それは一番怖いんだ。
というのは、疲れたとき、本当に何もしたくなくなる。
もしこんな状況が続けば、しかもその疲れもどんどん積もり上げて、きっと感じがしたがって鈍っていく。そしていつかなにも感じられなくなる。好きなものとか、好きでないものとか、全部消えてしまう。
それは一体どんな世界だか?
きっと悲しさも嬉しさも感じないな。
嫌だよ、そんな。
だって何を気にいれて萌え萌えする時は一番嬉しいんだ、と思う。
誰かを好きて。
何かを欲しくて。
見たい。感じたい。
楽しんでいると当時に、満足できる。
たとえ完全に満足できなくても、きっと何かを得られる。
こうなると、「人生」とは言われる。
私はそう思った。
だから、「何かを好きになる」というより、むしろ「何かを好きになりたい」とは正しい。
心を持つのはどうなによいものだろう。
そういう故で、今のいらいらとはそんなに辛くて辛くてたまらないものわけはない。でも一旦油断すると、もっと深刻な状況になるかもしれない。
私にとって、大変な状況。
今まだ幸せに浴びってる。
むかつくのかどうか、とにかく最悪の状況ではない。
無事で過す……とは祈ってるよ!
自分らしくて、自分のままに。
それじゃ、また今度。
疲れたってば、むしろやる気がない。やる気分がないな。
先週と今週も面接いっぱい、けど仕事はとうしても決めないようなんだ。もううんざりだよコリャー!!
でも、仕方がない。ふー
ため息にもやる気がない……||||
実は、そんなにいらいらするのは自分もしたくなかった。
でも人は未来を見ないうちに迷いやすくなるのも無理はない。
もうそろそろ学校から離れ、自分で生活を作る時間だ。いい仕事とか、あんまりよくない仕事とか、とにかく何かをしてばいいと思います。のんびりにしたくないわけがないけど、何もしないのは嫌だ。そして欲しい物を早く自分で支払いたいんだ。
でも、それは急にできるわけはない……みたいな。
はぁ……
別にそんなに悩んでるわけはないな。落ち着いていくのに、ちょっとだけ焦ると思う。ちょっとだけだ。
まぁ、人は多分みんなこんな時があるかな。
迷って迷って探して続けて、繰り返し……いつか自分には似合うことを見つけて、目指しできて夢を叶えて……幸せになる?
なんか嘘みたい気がする|||
しかし私は自分を信じてる。そして自分の運も信じてる。元々希望はそんなに高すぎではないから、いつか必ず自分がしたい生活を手に入れた。
だから今は少々我慢すればいいと思います。
きっと軽くなれる、かな。
今は重いです。胸の上に、なんか山みたいなものがある。ストレスというものかどうか、よくわからへんけど、疲らした。
それは一番怖いんだ。
というのは、疲れたとき、本当に何もしたくなくなる。
もしこんな状況が続けば、しかもその疲れもどんどん積もり上げて、きっと感じがしたがって鈍っていく。そしていつかなにも感じられなくなる。好きなものとか、好きでないものとか、全部消えてしまう。
それは一体どんな世界だか?
きっと悲しさも嬉しさも感じないな。
嫌だよ、そんな。
だって何を気にいれて萌え萌えする時は一番嬉しいんだ、と思う。
誰かを好きて。
何かを欲しくて。
見たい。感じたい。
楽しんでいると当時に、満足できる。
たとえ完全に満足できなくても、きっと何かを得られる。
こうなると、「人生」とは言われる。
私はそう思った。
だから、「何かを好きになる」というより、むしろ「何かを好きになりたい」とは正しい。
心を持つのはどうなによいものだろう。
そういう故で、今のいらいらとはそんなに辛くて辛くてたまらないものわけはない。でも一旦油断すると、もっと深刻な状況になるかもしれない。
私にとって、大変な状況。
今まだ幸せに浴びってる。
むかつくのかどうか、とにかく最悪の状況ではない。
無事で過す……とは祈ってるよ!
自分らしくて、自分のままに。
それじゃ、また今度。
気がつかない間にまた朝だ。新しい一日もう始めた。
この間ほとんど眠らなかった。時間があんまり少ないと思い、無駄に過すことは惜しい。だから元気なら眠らなくてもいいと思う。朝二三時間で十分足りる。
今はまだ学校にいてこんな昼夜反逆な生活ができる。けど、今もう仕事を探さなければならない時だ。見つからなくても、七月の始めに学校を出て自家に戻らなければならない。そして今のように自由な生活をしては無理だ。いつか一人で暮らすことができるのがとても欲しいね。
今日は全然眠らなかったわけはない。大体零時過しに寝て(かなり疲れたと思った)そして目を覚ましたのは三時ごろ。パソコンはずっと入れたままでダンロードした。朝は速い。それにあの時はダンロードできて眠りに戻ると思って、けど指が動いた途端に諦めた。参加したい話題に参加するのは決まって、後は眠りたくなくなった。今までだ。
多分三時ごろ、窓の外は空が暗闇にちょっとだけグレイが現れた。その後はだんだん明るくてきた。今、六時ごろは大体夜が解けて、暁になった。朝の色は白い。外の木はグレイの緑し、光がまったく白。今日も曇りかもしれない。そのせいで空はただの白。空の白だ。
物のせいで悲しくなるのは嫌いだ。今のごろ、「悩む」と言えるものはほとんどないんだから。悔しいこと、満足できない時はたくさんあるけど、本当の悩み、悩まなければならない物は一件もない。よく貧しいというけど、本当はもう十分幸せだと知ってた。今まで23歳、三ヶ月後は24歳になる健全な人間、小さいごろから重い病気がなし、事故も大きく嵐のようなこともあってない。素晴らしい生活とは言えないけど、とにかく穏やかで順調に過してきた。親たちはほぼ健康で仲良く、たくさんの愛をしてくれた。お金がよく足りないと思うけど、本物の飢えや寒さは一度も耐える必要はない。暮らす場所は絶対安全や富裕とは言えないけど、平和な国と地域だ。未来ははっきり見えないに違いないが、完全に真っ暗だとは言えない。普通の人間と普通の生活、それは私だ。今はそうだが、明日はきっと相変わらずそうだ。誇られるものはないと同時に、欲しいものはほとんどたいしたものがない。これは十分と思った。今更好きな仕事をしたいとはもう望まなっかたし、できるだけ好きにする生活しか欲しかった。だから無意味な悲しさは嫌い。今外の空を見ても、それは思わずに断るんだ。
私という人間は、心が足りないとよく存じる。いつの間にこうになったは覚えられないけど、感情が薄い人間に辿り着いた。愛というものと憎いというものも、そんなに強い感情はもう持ってない。それに感動というものもしたがってどんどん薄くなって、最後は完全に消えるかもしてない。考えれば、その愛していた人たちも愛してたこともなかったかもしれない。愛は非常に情熱があったと思う。でも今はただの冷たい荒野だ。自分のことしか考えられない……になったのだ。なぜこんなことがあったのは全然わからなくて、分かれようにしても欲しくない。ただ受け取ってた。私は元はそんなに我儘でつまらない人間だと知ってた。
でも感謝したい人は確かにいる。親と友達は言う必要はない、特にスズさんのことだ。好きになったことは考えなかったけど、本当に好きになった。ある意味の好きではないには違いないけど、多分は頼りみたいなもの。あの人の明るみは欲しい。あの人は楽しそうに笑ったり、話したりしては自分に力をあげた。彼は当然いつもそんなにうれしいとはないとこははっきりわかってるけど、そのうれしそうな彼の表層だけを欲しい。「多分自分も同じように明るくて毎日を過す」と思った。少なくても、自分は明るい一面を持ってると信じてみたい。だから感謝すると思う。いつまでも好きとはもちろん無理だ。でも好きなうちに思い切り好きで応援しては決まった。
ピノグが閉会とは一か月ごろ前に知ってた。お知らせをよく気づいた。ちょっとまずいと思ったけど、彼自分の言ったように、かたちがあるものはきっといつか消える。だからそんなショックしてなかった。私たちはできるだけのことをした。それは充分だ。多分彼はブログ再開しないと思う。でもそれはどうでもいいことだ。私にとって、元々形が持つものとか持たないものとか全部はただの影で、いつかきっと忘れるものだ。わたしは憧れたのはひと時だけの楽しみ、実はそれも影に過ぎない。だから落ち着いて見つめたしかないんだ。
あ、もう疲れたね。今日の午後は面接があるから、ちょっと寝るほうがいいね。それじゃ、また今度。
(……实际上这人还是受刺激了……|||)
この間ほとんど眠らなかった。時間があんまり少ないと思い、無駄に過すことは惜しい。だから元気なら眠らなくてもいいと思う。朝二三時間で十分足りる。
今はまだ学校にいてこんな昼夜反逆な生活ができる。けど、今もう仕事を探さなければならない時だ。見つからなくても、七月の始めに学校を出て自家に戻らなければならない。そして今のように自由な生活をしては無理だ。いつか一人で暮らすことができるのがとても欲しいね。
今日は全然眠らなかったわけはない。大体零時過しに寝て(かなり疲れたと思った)そして目を覚ましたのは三時ごろ。パソコンはずっと入れたままでダンロードした。朝は速い。それにあの時はダンロードできて眠りに戻ると思って、けど指が動いた途端に諦めた。参加したい話題に参加するのは決まって、後は眠りたくなくなった。今までだ。
多分三時ごろ、窓の外は空が暗闇にちょっとだけグレイが現れた。その後はだんだん明るくてきた。今、六時ごろは大体夜が解けて、暁になった。朝の色は白い。外の木はグレイの緑し、光がまったく白。今日も曇りかもしれない。そのせいで空はただの白。空の白だ。
物のせいで悲しくなるのは嫌いだ。今のごろ、「悩む」と言えるものはほとんどないんだから。悔しいこと、満足できない時はたくさんあるけど、本当の悩み、悩まなければならない物は一件もない。よく貧しいというけど、本当はもう十分幸せだと知ってた。今まで23歳、三ヶ月後は24歳になる健全な人間、小さいごろから重い病気がなし、事故も大きく嵐のようなこともあってない。素晴らしい生活とは言えないけど、とにかく穏やかで順調に過してきた。親たちはほぼ健康で仲良く、たくさんの愛をしてくれた。お金がよく足りないと思うけど、本物の飢えや寒さは一度も耐える必要はない。暮らす場所は絶対安全や富裕とは言えないけど、平和な国と地域だ。未来ははっきり見えないに違いないが、完全に真っ暗だとは言えない。普通の人間と普通の生活、それは私だ。今はそうだが、明日はきっと相変わらずそうだ。誇られるものはないと同時に、欲しいものはほとんどたいしたものがない。これは十分と思った。今更好きな仕事をしたいとはもう望まなっかたし、できるだけ好きにする生活しか欲しかった。だから無意味な悲しさは嫌い。今外の空を見ても、それは思わずに断るんだ。
私という人間は、心が足りないとよく存じる。いつの間にこうになったは覚えられないけど、感情が薄い人間に辿り着いた。愛というものと憎いというものも、そんなに強い感情はもう持ってない。それに感動というものもしたがってどんどん薄くなって、最後は完全に消えるかもしてない。考えれば、その愛していた人たちも愛してたこともなかったかもしれない。愛は非常に情熱があったと思う。でも今はただの冷たい荒野だ。自分のことしか考えられない……になったのだ。なぜこんなことがあったのは全然わからなくて、分かれようにしても欲しくない。ただ受け取ってた。私は元はそんなに我儘でつまらない人間だと知ってた。
でも感謝したい人は確かにいる。親と友達は言う必要はない、特にスズさんのことだ。好きになったことは考えなかったけど、本当に好きになった。ある意味の好きではないには違いないけど、多分は頼りみたいなもの。あの人の明るみは欲しい。あの人は楽しそうに笑ったり、話したりしては自分に力をあげた。彼は当然いつもそんなにうれしいとはないとこははっきりわかってるけど、そのうれしそうな彼の表層だけを欲しい。「多分自分も同じように明るくて毎日を過す」と思った。少なくても、自分は明るい一面を持ってると信じてみたい。だから感謝すると思う。いつまでも好きとはもちろん無理だ。でも好きなうちに思い切り好きで応援しては決まった。
ピノグが閉会とは一か月ごろ前に知ってた。お知らせをよく気づいた。ちょっとまずいと思ったけど、彼自分の言ったように、かたちがあるものはきっといつか消える。だからそんなショックしてなかった。私たちはできるだけのことをした。それは充分だ。多分彼はブログ再開しないと思う。でもそれはどうでもいいことだ。私にとって、元々形が持つものとか持たないものとか全部はただの影で、いつかきっと忘れるものだ。わたしは憧れたのはひと時だけの楽しみ、実はそれも影に過ぎない。だから落ち着いて見つめたしかないんだ。
あ、もう疲れたね。今日の午後は面接があるから、ちょっと寝るほうがいいね。それじゃ、また今度。
(……实际上这人还是受刺激了……|||)
この間、なんかずっとあの人を思い出す。そして、今日は意外に再会してしまった。
実際に、彼女と連絡できなかった日は随分長いと思ってるんだ。私にとってあの人はまるで空に浮かぶ雲のように、いつの間に現れて、すぐに遠い彼方へ離れ消えた。私は、いつも彼女の影を見てたけど、どうしても掴まれない。だからいつも会っても必ず甘くて苦しい思いを出して、結局、どこへもいけなく、いつもと同じように彼女の背中を見送って済んだ。言いたいことを言い出せなく、やりたいことはすっかり忘れた。こんな不器用な私、こんな何でもできない気になり、すべで彼女に教えてくれた。
彼女と離れている時は、忘れでもいいと思って、確かに忘れたと一度信じている。でもそれも自分でついた嘘かもしれない。忘れたと言えば、そう言ってもいいけど、なんか時々あることに煽てられて戻った。あの時の暖かい愛と、泣き出しそうになった苦しみ。私は元々冷たい人だから、そんな感情を本当に持たないかもしれない。しかし自分で作ったかどうか、私はあのような気持ちが欲しい。本当に本当に欲しいよ。なぜ普通な人間と一緒に恋に堕ちられないか?誰でもいいと思い、それに本気に誰でもかまわない。そして、いつの間に私にとって本物の愛を降り、自分も大人しく受け取り、なぜならそれは天命だから。自分の道にはそんなことがあるって、私は知っている。いつかきっと繰り返して止まれない出会い、そして何回でも実を結べない片方の気持ちで別れている。いくらなんでも、大切にすることを失わなければならない。私必ずすべでを抛って一人に戻る。
そう。そんなに大切なことを抛っているのは、私自分だった。自分勝手に求めたり、追いかけたりして、それでも自分の空を埋められない。なぜなら私は誰にも支配される気がなく、すなわち、絶対な自由がいつまでも、なによりも一番欲しい。そうしては彼女と一緒に、二人とも何にも繋がれられたくなかった。このてんに私たちは同類だ。だから、彼女に文句を言う立場は、実際に一度もなかった。私のやり方は相手を傷つけて乱暴なことだと分かっている。でもその他には何の方法でもない。私も、自身に無理をして、ただのばかだけだ。その無理なこと、その絶望な考え事は、いわゆる「惚れ」だった。
そのように、わたしは彼女を続けて思って、そして彼女と続けて付き合っている。彼女は、私のことを捨てたがらないかもしれないけど、むしろ私はそう願った。だから彼女の跡を目に映した途端に、一度持った「惚れ」ということをすぐに私に戻ってくる。仕方ない。私は、恐らく一生もこのままで彼女に勝手に左右するかもしれない。自由が欲しいけど、何となく自分で自分をもっと不自由な状況に運んでくる。あの願いはただの影だけだと知ったのに、そこへ手を伸ばしてはならない。無駄な思いも切れなく、自分を自分らしくなってることも止まれない。私は、いつもこのように、生きている。
私は陸に泊まった船だ。どこへもいけなく、この狭い世界に命を置いている。彼女は雲、いいえ、風に吹かれるただ一枚の葉だ。私、いつも遠い所からその葉を眺めて、目の前に来たり、そしてもう一度離れたりすることを任せなければならない。私はそんな未来を見ながら日を過ごして、たまには叶えない夢を見ていた。「待ち」とは事実なのに、同時には最後の言い訳。なぜなら、私は、他の居場所はひとつもない。ただ、ここにいるからだ。
ね、久しぶり、SU。自分のことは、ちゃんとしたのか?そして...
また、会えるか...
実際に、彼女と連絡できなかった日は随分長いと思ってるんだ。私にとってあの人はまるで空に浮かぶ雲のように、いつの間に現れて、すぐに遠い彼方へ離れ消えた。私は、いつも彼女の影を見てたけど、どうしても掴まれない。だからいつも会っても必ず甘くて苦しい思いを出して、結局、どこへもいけなく、いつもと同じように彼女の背中を見送って済んだ。言いたいことを言い出せなく、やりたいことはすっかり忘れた。こんな不器用な私、こんな何でもできない気になり、すべで彼女に教えてくれた。
彼女と離れている時は、忘れでもいいと思って、確かに忘れたと一度信じている。でもそれも自分でついた嘘かもしれない。忘れたと言えば、そう言ってもいいけど、なんか時々あることに煽てられて戻った。あの時の暖かい愛と、泣き出しそうになった苦しみ。私は元々冷たい人だから、そんな感情を本当に持たないかもしれない。しかし自分で作ったかどうか、私はあのような気持ちが欲しい。本当に本当に欲しいよ。なぜ普通な人間と一緒に恋に堕ちられないか?誰でもいいと思い、それに本気に誰でもかまわない。そして、いつの間に私にとって本物の愛を降り、自分も大人しく受け取り、なぜならそれは天命だから。自分の道にはそんなことがあるって、私は知っている。いつかきっと繰り返して止まれない出会い、そして何回でも実を結べない片方の気持ちで別れている。いくらなんでも、大切にすることを失わなければならない。私必ずすべでを抛って一人に戻る。
そう。そんなに大切なことを抛っているのは、私自分だった。自分勝手に求めたり、追いかけたりして、それでも自分の空を埋められない。なぜなら私は誰にも支配される気がなく、すなわち、絶対な自由がいつまでも、なによりも一番欲しい。そうしては彼女と一緒に、二人とも何にも繋がれられたくなかった。このてんに私たちは同類だ。だから、彼女に文句を言う立場は、実際に一度もなかった。私のやり方は相手を傷つけて乱暴なことだと分かっている。でもその他には何の方法でもない。私も、自身に無理をして、ただのばかだけだ。その無理なこと、その絶望な考え事は、いわゆる「惚れ」だった。
そのように、わたしは彼女を続けて思って、そして彼女と続けて付き合っている。彼女は、私のことを捨てたがらないかもしれないけど、むしろ私はそう願った。だから彼女の跡を目に映した途端に、一度持った「惚れ」ということをすぐに私に戻ってくる。仕方ない。私は、恐らく一生もこのままで彼女に勝手に左右するかもしれない。自由が欲しいけど、何となく自分で自分をもっと不自由な状況に運んでくる。あの願いはただの影だけだと知ったのに、そこへ手を伸ばしてはならない。無駄な思いも切れなく、自分を自分らしくなってることも止まれない。私は、いつもこのように、生きている。
私は陸に泊まった船だ。どこへもいけなく、この狭い世界に命を置いている。彼女は雲、いいえ、風に吹かれるただ一枚の葉だ。私、いつも遠い所からその葉を眺めて、目の前に来たり、そしてもう一度離れたりすることを任せなければならない。私はそんな未来を見ながら日を過ごして、たまには叶えない夢を見ていた。「待ち」とは事実なのに、同時には最後の言い訳。なぜなら、私は、他の居場所はひとつもない。ただ、ここにいるからだ。
ね、久しぶり、SU。自分のことは、ちゃんとしたのか?そして...
また、会えるか...
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