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「書道」とは、やはり毎日続いて練習しなければならないよな〜
こうしてペン習字するのは何年ぶりだね。
小学生の時、一緒に書道を学んだ子たちは、皆今どこでなにをしているの?
あのとても親切で、いつも優しく笑って褒めてくれた先生も。
昼休みの一時を借りて練習しながら、凄く懐かしい気分になった。
子供のごろは、「まだ自分のこれからの人生に何が必要だとは分からない」と、よく言われた。
今思えば、あの時やったこともやれなかったことも、ほぼ両親に決められた。
書道・絵・英語、自分の趣味というより、むしろ両親の好み、あるいは一種類の「投資」ということ。
「専門家になって欲しい」とか、「いい仕事を見つけて欲しい」とか、人生に「獲るもの」があることしか学ばせない。
しかし、もし自分は何をしたいと聞けば、答えは多分「楽しく日々を過ごす」だけかもしれないね。
子供同士でいっぱい遊んだり、好きなアニメを見たりして、後はその時思いつけた「したい」ことを思い切りすればいいと思う。
たとえ絵とか好きと言えば、決してクラスでスケッチを学ぶことじゃなく、勝手に描きたいものを描くことだ。
「学ぶ」ことは、大体両親の意思に逆らえなかった末なんだよな。
たまには、私は自分が「学びたい」と決める時こそ、学べき時と思う。
「何を好き」と「何を学ぶことが好き」は、必ず一致とは限らないだろ。
まぁ、できるだけ早く学ぶほうがいいものももちろんいっぱいいっぱいあるけど…複雑な…
言いたいのは、子供のごろ実際に何かを学びたいとも分からなかったけど、両親に勧めていっぱい学んだということだけ。
そして学び続けなかったとは、自分自身が選んだものじゃないとは多分関係があるかもしれない。
でも、それは決して良くないものとも言いたくない。
子供のごろでやったことは、今時には影響があるんだ。
何かを学んだことは、たとえあのまま続けなかったといっても、今の自分にも影のようなものが残っていた。
書道とか、絵とか、音楽とか、やり方はもう覚えていないけど、なんかそのものが遥かな香りみたいにまだ自分に付いているという気がする。
だから時折にも感謝な気持ちになる。
両親の目的とは決定的な違いがあるけど、今の私には大した役に立ってた。
だって、今のように生活をたっぷり楽しむことが出来るのは、いろんな「中途半端」なものとは相当関係があると思う。
「中途半端」こそ、逆に何のプレシャーもなくひたすら遊びものとしてやることができるじゃないか?
それに、これからもいろいろ勉強をしたい。
専門家にはなりたくなくても、何の功利なものにもなれなくても、ただ未来の自分の心が虚しくならないために。
今のような、懐かしく幸せな気持ちになるために。
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